
2026年版の「ものづくり白書」がこのほど公表されました。同白書のデータや関連資料を紐解くと、中小企業が置かれた現実や課題が明らかになります。同時に、それらを乗り越えるための手順も見えてきます。
今年の白書の核心は、価格転嫁で原資を確保し、それをデジタルと人への投資につなげる好循環をどう構築するかにあります。本記事では、その循環を自社で回すための具体的な視点を整理します。
ものづくり白書
1999年に成立した「ものづくり基盤技術振興基本法」に基づく法定白書として、毎年国会に報告されている年次報告書です。経済産業省、厚生労働省、文部科学省の3省連名で作成されます。日本の製造業が直面する課題や政府の取組(第1部)、具体的な振興施策(第2部)で構成されています。
第1章:守りの要は価格転嫁と経済安全保障
今年の「ものづくり白書」は、日本の製造業が目指すべき大きな指針を示していますが、その前提となる足元の守りを固めるためには、経済産業省や中小企業庁が発する周辺の公式データなどに目を向ける必要があります。そこには、白書が警告する「様子見のリスク」の具体的な実態が描かれているからです。
1.1 経済安全保障への対応は企業価値の維持・向上へ必須の投資
まず、地政学リスクにより事業環境の不透明さは恒常化しています。経済産業省が2026年1月に策定した「経済安全保障経営ガイドライン(第1版)」によると、もはや経済安全保障への対応は「単なるコストではなく、企業価値の維持・向上を目指す上で必要な投資」と位置付けられています。中小企業であっても、経営層主導で自社ビジネスの弱みの把握や取引先との情報共有といった現実的な一歩を踏み出す必要があるといえます。
1.2 業種ごとに価格転嫁率にばらつき
直近の最大の課題はコスト高です。中小企業庁が公表した「価格交渉促進月間(2025年9月)フォローアップ調査結果 」によると、業種によって価格の転嫁率にばらつき(1位の化学66.7%、30位のトラック運送34.7%など)があり、厳しい現実が浮き彫りになっています。同調査のアンケートからは「根拠資料を提出して交渉を申し入れたが、エビデンスが足りないと一蹴され、協議に応じてもらえなかった」「申し入れた金額は受け入れられず一方的に金額を決められた」といった中小企業の切実な声も見受けられます。

さらに、経済産業省が2026年4月に公表した「製造基盤強化レポート」では、海外の情勢不安などのリスクに対し、情報収集の段階で止まり、具体的な行動に移れていない企業が多いことが指摘されています。特定の国や1社の取引先に依存しないよう、調達先を複数に分散させるなど、実際にコストをかけて自社のサプライチェーンを強化する具体的な行動(投資)に踏み出せていないことが、製造業の弱点として問題視されているのです。つまり、先行きが不透明でも、コストを恐れて様子見を続けるべきではないということです。では、現状を打破して次なる投資へ向かうための原資を、どのようにして確保すべきなのでしょうか。
1.3 原資確保のための具体的なアクション
ここでは、避けるべきパターンと取るべきアクションをまとめました。
陥りがちな失敗パターン
- 「情報収集」だけで満足する:リスクや原価のシビアな洗い出しを行わず、情報収集をしただけで安心してしまうケースです。関税や物流費などの見えないコスト高騰分を価格に反映できず、自社で被り続けた結果、次なる投資原資を失ってしまいます。
成功のためのアクション:まずやること3点
- 客観的なコスト上昇データの提示:経済産業省・中小企業庁のウェブサイト「価格交渉・価格転嫁の取組事例」では、コスト上昇調査や労務単価調査、市場調査をしっかりと行った企業が、交渉の工夫を通じて価格改定や関係維持に成功している事例が紹介されています。自社のコスト増を精査し、客観的なデータに基づいた交渉の準備をしましょう。
- 公的窓口の活用:もし取引先との価格交渉が一方的に拒否されたり、難航したりした場合は、全国48か所に設置されており、無料で相談できる「取引かけこみ寺」などの公的な相談窓口を積極的に活用しましょう。
- サプライチェーン上でのリスク共有:「経済安全保障経営ガイドライン」でも言及されていますが、自社内だけで抱え込むのではなく、業界団体や取引先ネットワークを活用して部素材の枯渇リスクや代替調達ルートなどの情報を平時から共有・複線化する仕組みを作ることが、等身大の防衛策となります。
第2章:攻めの要は製造AXと設備更新への投資
こうして確保した原資を、どこへどのように投じるべきか――。ここからが攻めの議論です。第1章では、周辺の公式データから守りの実態と原資確保の重要性という前提が見えたところで、今年の「ものづくり白書」が提示する攻めの投資へ目を向けてみましょう。
2.1 AI活用を阻むノウハウ・人材不足
今年の白書に掲載された調査データによると、自社の経営課題として「労働人口の減少」を約7割の事業者が挙げています。この構造的な人手不足を乗り越えるためには、AIやデジタル技術を活用した製造プロセスの最適化(省力化)が不可欠です。
しかし、いざデータ連携やAIの活用を進めようとしても、その壁として「知識やノウハウの不足」「人材の不足」を挙げる企業がいずれも5割前後に上り、中小企業の厳しいジレンマが浮き彫りになっています。
2.2 経営トップがDX・AX導入の旗振り役を
このような状況を打破するため、日本が強みとする蓄積された現場のリアルデータを活かし、AIを実装してプロセスを変革する「製造AX(AIトランスフォーメーション)」の推進が、国を挙げて強く求められています。ただし重要なのは、特に中小企業においては、DXやAXの導入は現場やITベンダー任せではなかなか進まないということです。経営トップ(CEO・社長)自らが旗振り役になることが求められているのです。
白書や各種資料から読み取れる、中小企業が取り組むべき具体的なアクション3点を整理します。
2.3 デジタル活用成功のポイント3点
- ツールの選定前に、経営者がデジタル活用の目的とビジョンを示す。
- 経済産業省が進める「製造AX拠点構想」に関する情報や、最新のAIシステムに関する情報収集などを積極的に進める。
- 老朽化した設備のアップデート時に、何台もの古い機械で行っていた作業を1台でまとめてこなせる工程集約型の機械やロボットの導入を検討する。これにより、少ない人数でも生産性を維持・向上させることができます。
製造AX拠点構想
資金やノウハウが不足する企業単独では難しいAI導入を国が後押しするプロジェクトです。国がメーカーの垣根を越えて工場のデータを集めた「共通の土台(プラットフォーム)」を用意し、それをもとに様々なIT企業等が多様な工場向けAIを開発・共有できるようにすることで、日本の製造業全体の底上げを目指します。

2.4 経営層主導の成功事例
白書では、経営トップの主導でデジタル技術活用を進める好事例として株式会社エフピコのケースが紹介されています。かつては現場の勘と経験に依存していましたが、まさに経営層が主導して社内横断的な連携を促し、サプライチェーン管理システム(SCM)を導入。部門間の壁を取り払い、トータルコストの最適化を実現したそうです。
第3章:賃上げと人材育成を両立させるリスキリング戦略
3.1 価格転嫁とAI・省力化投資は「人への投資」の原資
これまで、第1章で価格転嫁による原資の確保、第2章でAIや省力化設備への投資の重要性を見てきました。これらはすべて、最終的に企業を支える一番の基盤である「人」への投資、すなわち賃上げと人材育成を実現するためのステップです。
深刻な人手不足の中で人材を確保・定着させるためには賃上げが不可欠ですが、経営者にとって、単に給与を上げるだけでは利益を圧迫するジレンマに陥ります。
今年の白書のデータでは、設備投資に積極的で労働生産性が高い企業ほど、賃上げ率も高い傾向にあるという事実がはっきりと示されています。つまり、価格転嫁で得た原資を使ってAI・省力化投資を行い、そこで高まった生産性を賃上げに回すという好循環を作ることが必須なのです。
しかし、どれだけ最新のAIやロボットを導入しても、それを使いこなせる人材がいなければ生産性は上がりません。だからこそ、賃上げとセットで取り組むべきなのが「リスキリング(能力開発)」です。
3.2 社内育成だけにこだわらない
能力開発の最大の問題点として、多くの企業が指導する人材が不足していることを挙げています。自社内だけで育成しようとするのは限界という企業は少なくありません。
陥りがちな失敗パターン:指導者不足を理由に教育を後回しにし、生産性が上がらないまま無理な賃上げを行い、経営体力を削る。
成功のためのアクション:まずやること3点
- 白書でも言及されていますが、「生産性向上人材育成支援センター」を積極的に活用しましょう。これは、全国のポリテクセンター(職業能力開発促進センター)などに設置された企業向けの専門窓口で、自社の課題に合わせたデジタル人材などの育成プランの提案から訓練の実施までをサポートしてくれます。
- 助成金の活用:厚生労働省が所管する人材開発支援助成金の要件を確認し、従業員のデジタルスキル習得(リスキリング)に向けた計画を立てる。
- 価格転嫁、DX、賃上げは三位一体であることを全社で共有し、生産性向上が従業員の給与に直結する仕組みを作る。
第4章:実行すべきロードマップ
では、この三位一体の取り組みを、経営者はどのような順番で進めるべきでしょうか。ここでは、価格転嫁で原資を確保し、AI化・省力化や人材投資へとつなげるための具体的な実行ステップと、2026年時点で利用できる主な支援策をまとめました。自社の状況に応じて取り組みやすいところから着手してみてください。
| ステップ | 実行すべき具体策 | 活用できる主な支援窓口・補助金 |
|---|---|---|
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ステップ1 足元の課題整理と、取引先との価格交渉 |
コストの可視化と価格転嫁:
自社のデータだけでなく、最低賃金の上昇率や春季労使交渉の妥結額といった客観的な公表資料を用いて、発注元(取引先)に対して価格転嫁に関する交渉を行う。 方針の決定: 経営層の主導でDXの目的(ビジョン)や経済安全保障の対応方針を定める。 |
よろず支援拠点 >
:経営全般の悩みに無料で対応してくれます。価格転嫁に関しては、交渉準備や戦略作りをサポートしてもらうことも可能です。 取引かけこみ寺 > :取引先との間に生じたトラブルや不当な扱いに関し、専門の相談員や弁護士が対応してくれます。 ※いずれも国が設置する無料の公的相談窓口です。 |
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ステップ2 設備と人への投資 |
生産性向上への投資:
老朽化した設備の更新時に、複数の工程を集約できる工程集約型加工機やITツールを導入する。 人材への投資: 外部の公的支援機関等を活用した能力開発やリスキリングを実行する。 |
【設備投資向け主な補助金】 ■ 省エネルギー設備への更新を促進するための補助金 > ■ デジタル化・AI導入補助金 > 【人への投資向け主な補助金】 ■ 人材開発支援助成金 > |
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ステップ3 事業構造の変革 |
次なる成長への投資:
ロボットやAI等を活用した大規模な省力化・自動化を検討する。 多角化と強靱化: 高付加価値製品の開発や、特定の国や地域に依存しないサプライチェーンの再構築を図る。 |
【大規模な省力化・自動化向け】 ■ 中堅・中小・スタートアップ成長投資補助金(旧:中堅等大規模成長投資補助金) > 【研究開発(高付加価値化)向け】 ■ Go-Tech事業 > |
※補助金や助成金の要件は変更されることがあります。検討の際は必ず公式サイトなどで最新情報を確認したうえで、必要に応じて専門家に相談してください。
第5章:まず具体的な一歩を
価格転嫁で原資を確保し、デジタルと人への投資で生産性を高め、その成果を賃上げにつなげる――。今年の白書が示すのは、この循環をいかに自社で回すかという実務的な視点です。公的支援や客観データを活かしながら、自社の次の一手を具体化することこそ、不確実な時代を生き抜く確かな道筋となるはずです。
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